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| TOP >人物顕彰 >坪内逍遙大賞のあゆみ |
| 美濃加茂市が生んだ日本近代文学の先駆者で、新しい国劇の樹立を目指した坪内逍遙。逍遙の功績を称え、市民文化の向上を図るため、市制40周年を記念し平成6年度に「坪内逍遙大賞」を制定しました。
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| 古典から前衛まで、現代の「逍遙」がそろいぶみ。 |
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1917年生まれ、東京都出身。1951年に六代目中村歌右衛門を襲名した歌舞伎女形の第一人者で重要無形文化財保持者。父、五世歌右衛門(1865〜1940)は、1904年に坪内逍遙作の新しい歴史劇「桐一葉(きりひとは)」で淀君を初演したのを皮切りに、逍遙作主要歴史劇のヒロインを演じて絶賛されました。六代目中村歌右衛門はこの父の芸統を受け継いで、淀君やお夏など逍遙作歴史劇のヒロインをしばしば演じました。父子二代にわたる活動は、逍遙の新しい歴史劇への認識、ひいては演劇向上への多大な貢献につながるとして、本賞を受賞しました。 |
| 2001年没。 | |
| 淀君からお夏まで。逍遙作の歴史劇を通して演劇界に大きく貢献。 |
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1905年生まれ、神奈川県出身。1923年、沢田正二郎を敬慕し、俳優を志して弟子入り。沢田は坪内逍遙が主宰する文芸協会の出身で、のちに民衆本位の新しい国民劇の樹立を目指し、逍遙の命名による「新国劇」を創立。島田はこの沢田の意思を受け継ぎ、僚友の辰巳柳太郎と共に、新国劇の第2期黄金時代を築きました。受賞理由は逍遙が目指した新しい国劇の創造への道を歩み続け、日本の演劇界の向上に大きく寄与したという点。1987年、「新国劇」が幕を閉じたのちも島田の代表作、一人芝居「白野弁十郎」を演じ続けるほか、映画やテレビでもいぶし銀のような演技で多くのファンを魅了しました。 |
| 2004年没。 | |
| 逍遙が命名した「新国劇」の心を受け継ぎ、今も、いぶし銀のような舞台をみせる。 |
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女性声優の草分け的存在。俳優加藤精一(故人・文芸協会出身)の長女として、1919年東京都に生まれました。1944年に声優として「神明」でデビュー。1948年には放送劇「魚紋」で芸術祭賞を受賞するなど、主にラジオ放送劇の世界で活躍し、俳優森繁久弥と共演しているラジオドラマ「日曜名作座」は放送開始以来、約40年間も続いている長寿番組として有名です。坪内逍遙は「朗読」というものを、新しい国劇の向上のために必要と考えて研究を重ね、やがては一つの芸術として成立させることを目指していました。ラジオドラマの芸術性を確立するなど功績が評価され、大賞の受賞となりました。 |
| 2004年没。 | |
| 声優ひとすじ。誰もが一度はその声に接しているラジオドラマの第一人者。 |
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1931年、民主的な運営による新しい演劇運動を推進しようと結成された前進座は、民衆本位の演劇活動として古い歴史を持つユニークな劇団。創立メンバーの多くが歌舞伎出身であったため、当初は歌舞伎劇を中心としながらも、坪内逍遙翻訳のシェークスピア劇や逍遙の作品をはじめとした多彩な活動を行うほか映画にも進出するなど広い観客層を開拓してきました。1982年には前進座劇場を建設し、ここを拠点として全国的な公演活動と若い演劇実践者を養成。息の長い活動がもたらした演劇文化への貢献が評価され、大賞受賞となりました。 逍遙が提唱した民衆本位の演劇活動。その実践に情熱をかたむける。 |
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狂言師・野村万作は故六世野村万蔵の次男として1931年に生まれ、祖父の初代萬斎及び父に師事しました。3歳の時「靭猿(うつぼざる)」の子猿で初舞台を踏みます。1950年「三番叟」で二世野村万作を襲名しました。格調正しい芸風ですが、新しい試みにも意欲的で「月に憑かれたピエロ」、「子午線の祀り」(1979年紀伊国屋演劇賞)などに出演、1971年には新劇の役者等と「宴の会」を結成し、現代演劇との交流にも積極的に取り組んでいます。また1957年、パリ国際演劇祭能楽団に参加して以来海外公演は数を重ねています。1977年、狂言の秘曲とされる「釣狐(つりぎつね)」で芸術祭賞大賞を受賞しました。重要無形文化財総合指定者。 シェークスピアの狂言化や現代演劇との交流など、新しい試みに意欲を燃やす古典芸能の伝承者。 |
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俳優・小沢昭一は1929年東京生まれ。1952年、早稲田大学を卒業。俳優座養成所をへて、1951年、俳優座公演で初舞台を踏みました。以後、新劇と映画・テレビ・ラジオと幅ひろく活躍し、数々の演技賞を受賞しています。一方、民衆芸能の研究にも力をそそぎ、レコード「日本の放浪芸」シリーズの製作は高く評価され、芸術選奨を受賞しました。著作活動も、近著『ものがたり芸能と社会』『話にさく花』『東海道ちんたら旅』『放浪芸雑録』など四十数冊と活発に行っています。現在、ラジオの「小沢昭一の小沢昭一的こころ」は放送開始27年目。舞台は「しゃぼん玉座」を主宰して「唐来参和(とうらいさんな)」の公演で全国ツアーをつづけています。 民衆芸能の研究に力をそそいで30年。舞台に、映画に、執筆にと活躍する異色の俳優。 |
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日本の性格俳優第一人者として知られる仲代達矢は、1932年東京で生まれ、1955年に俳優座に入団したところから役者人生のスタートをきりました。入団早々「幽霊」のオスワル役で認められ、また早くから映画にも出演して、舞台と映画を両立させつつ、戦後を代表するスターの座にのぼりつめます。舞台では、「どん底」のサチン、「令嬢ジュリー」のジャンなどで個性的な演技を披露。また映画では、黒沢明監督「影武者」、小林正樹監督「黒い河」、篠田正浩監督「無頼漢」、五社秀雄監督「鬼龍院花子の生涯」など数多くの作品に出演し、人間の奧深さを演じる芸で高い評価を受けました。1975年から「無名塾」を主宰し、後進の指導にも情熱を注いでいます。 人間の奧深さを演じつづけて半世紀、「無名塾」の若者たちにこれからの夢を託して。 |
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中村雀右衛門は、1920年、六世大谷友右衛門の息子として東京に生まれました。7歳のとき子役として初舞台を踏みますが、その後青年期を戦場に過ごし、戦後は女形として再出発をはかります。1948年に父の名を継ぎ、七世大谷友右衛門を襲名。「毛谷村」のお園、「鳴神」の雲絶間姫など、数々の女形をつとめるなかで若手女形としての評価をゆるぎないものにしていきます。そして1964年に歌舞伎座で「妹背山婦女庭訓」のお三輪と「金閣寺」の雪姫を熱演、四世中村雀右衛門を襲名しました。新鮮さと古風さを併せもつと評されるその芸風は、濃厚かつ品格に富み、重要無形文化財保持者として歌舞伎界をささえています。 現代歌舞伎界の最高峰と称されながら、なおも究極の人工美を追いつづける女形の名優。 |
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歌舞伎役者と新派の女優を両親にもつ水谷八重子は、1939年東京に生まれ、1955年に水谷良重の芸名でデビューしました。舞台はもとより、映画に、テレビに、音楽(ジャズ)にと幅広いジャンルで活躍をつづけ、数多くのヒット作を生み出します。その内、新派女優としては「佃の渡し」、「深川不動」、「滝の白糸」などの評価が高く、1995年には亡き母の跡を継ぎ二代目八重子を襲名、名実ともに新派の大黒柱の役割を担ってきました。近年では女優のかたわら「朗読」にも情熱をかたむけ、泉鏡花作「義血侠血」のCDなどを発表、平成13年度芸術祭優秀賞を受賞するなど新境地を開いています。 映画に、テレビに、ジャズに活躍。新派の大黒柱にして、朗読や文筆にも新境地。 |
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松本幸四郎は1946年に歌舞伎役者として初舞台を踏み、1981年九代目松本幸四郎を襲名。古典を継承し、その古さを力として歌舞伎本来のすばらしさを人々に伝えようと取り組み、2003年には「勧進帳」弁慶役で上演700回を達成しています。また、現代劇やミュージカルなどでも活躍。シェイクスピア作品では、1993年にサー・ジョン・ギールグッド賞を受賞。1996年には「マクベス」に主演して四大悲劇を完結上演。ミュージカルでは、1970年にブロード・ウェイで「ラ・マンチャの男」に主演し、2003年に1,000回上演を達成。1982年から上演された「アマデウス」とともに、松本幸四郎の代表作として知られています。さらに、1997年には「シアターナインス」、2000年に「梨苑座」を設立し、演劇の新たな可能性にも挑戦しています。 古典の伝承者として、また、新しい演劇の騎手として見果てぬ夢を追い続ける |
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1927年、名門・観世銕之丞家の次男として生まれた能楽師の観世榮夫は、1949年、観世流から喜多流に転流しました。1953年、「華の会」を結成し能界に新風を吹き込みましたが、のちに能楽協会を脱退。演劇、オペラ、歌舞伎、舞踊の演出のほか俳優としても活動しました。1979年に能楽界へ復帰すると、古典の能ばかりでなく絶えている能の復曲や創作能も手がけ、その活躍は分野や国境を越えた広がりを見せています。伝統の世界にありながら、枠にとらわれることなく常に新しいものに挑むその姿と情熱は、まさしく坪内逍遙の精神に通じるものがあります。 |
| 2007年6月没。 | |
| さまざまな舞台芸術にかかわりながら、能のあるべき姿を求めつづける能楽師 |
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中村吉右衛門は1944年、八代目松本幸四郎(初代白鸚 )の次男として、東京都で生まれました。母方の祖父・初代中村吉右衛門の養子となり、1948年、東京劇場にて中村萬之助を名のり初舞台を踏み、1966年、帝国劇場にて二代目中村吉右衛門を襲名しました。現代の歌舞伎を代表する俳優であり、幅広い芸域での活躍は内外に知られるところです。義太夫狂言の立役の第一人者として、役を深く掘り下げた人物造型をなし、「世話物」では卓越した台詞術が魅力で、新歌舞伎でもあたり役が多くあります。歌舞伎の新作にも意欲的にとりくみ、「松 貫四」の筆名で数々の作品を発表。2006年からは文化庁主催による「本物の舞台芸術体験事業」に参加、各地の小学校を巡回しています。日本芸術院会員。 古典の伝統を受け継ぎ、芸術に向かってなお道を歩み続ける。 |
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十五代目 片岡仁左衛門丈は十三代目の三男として、1944年に大阪府で生まれました。 1949年9月、大阪の中座において「夏祭浪花鑑」の市松を本名の「片岡孝夫」の名で初舞台を踏みました。1964年に演じた「女殺油地獄」の与兵衛は、昭和39年度大阪府民劇場奨励賞に選ばれるなど出世芸でした。しかし、あえてその与兵衛役を封印し、2009年上演された歌舞伎座さよなら公演「六月大歌舞伎」を最後に見納めとなりました。1998年1・2月歌舞伎座「吉田屋」の伊左衛門、「助六曲輪初花桜」の助六ほかで十五代目片岡仁左衛門を襲名しました。 現代の歌舞伎を代表する立役俳優の一人で、上方歌舞伎の継承者としても人気・実力ともに高く評価されています。また、テレビドラマでの時代劇や朗読、映画への出演など幅広い活躍は、多くの人々を魅了しています。 日本藝術院会員、伝統歌舞伎保存会会員。 |
| 坪内逍遙大賞授賞記念事業年譜 会場/美濃加茂市文化会館 |
回 |
期日 |
受賞者 |
記念事業 |
| 第1回 | 1994年9月10日 | 六代目 中村歌右衛門 |
(授賞式のみ。会場:早大演劇博物館) |
| 第2回 | 1995年10月8日 | 島田正吾 | ひとり芝居「白野弁十郎」 |
| 第3回 | 1996年10月16日 | 加藤道子 | 朗読「ロミオとジュリエット」「神変大菩薩伝」ほか。のち「朗読講座」 |
| 第4回 | 1997年10月5日 | 前進座 | 講演「逍遙先生と劇団前進座」立体朗読劇「坪内逍遙作『沓手鳥孤城落月』」ほか |
| 第5回 | 1998年9月3日 | 野村万作 | 狂言「萩大名」「蝸牛」 |
| 第6回 | 1999年7月27日 | 小沢昭一 | 講演「長講一席小沢昭一的こころ」 |
| 第7回 | 2000年6月30日 | 仲代達矢 | 対談「私の役者人生と無名塾」 |
| 第8回 | 2001年7月3日 | 四代目 中村雀右衛門 |
お話「女形の芸を語る」中村京蔵実演「女形ができるまで」 |
| 第9回 | 2002年7月5日 | 水谷八重子 | スピーチ「日本女優物語」朗読「泉鏡花・義血侠血」 |
| 第10回 | 2003年7月17日 | 九代目 松本幸四郎 |
ビデオ「九代目松本幸四郎の軌跡」 記念スピーチ 「見果てぬ夢を追い続けて」 |
| 第11回 | 2006年7月5日 | 観世榮夫 | 仕舞『景清』上演 対談(篠田正浩氏) |
| 第12回 | 2008年7月8日 | 二代目 中村吉右衛門 |
対談(中村吉右衛門・坪内ミキ子) |
| 第13回 | 2010年7月31日 | 十五代目 片岡仁左衛門 |
対談(片岡仁左衛門丈、坪内ミキ子氏) |
| ※ | 第10回目までは毎年、第11回目からは隔年で実施しています。 また、「早稲田大学坪内逍遙大賞」が、2007年度に創設され、隔年で実施されることになりました。 |
| ※ | 各受賞者の解説は、授賞時の内容を掲載しています。 |
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