美濃加茂事典
小栗憲八 (紫紅)(おぐりけんぱち(しこう))
 明治34年(1901)、加茂郡白川町切井に生まれる。大正12年、岐阜師範学校卒業。昭和22年から昭和32年まで太田小学校校長として戦後の新しい教育制度を軌道に乗せた。太田小学校校歌の作詞者。昭和31年の坪内逍遙博士顕彰会発足時には、副会長として坪内逍遥顕彰碑建立と逍遙庭園建設のために奔走した。昭和34年、美濃加茂市教育委員会初代の社会教育課長となり岐阜国体の美濃加茂市国民体育大会事務局長を兼任、また、同年4月に美濃加茂市文化協会を創設、初代会長となる。小栗紫紅の名で俳句、短歌の指導者としても活躍し、当地域の文化の振興と社会教育の発展に功績を残した。『美濃加茂市史』の編纂時には、編纂委員、執筆者(通史編第11章第6節、民俗編第15章、第16章)として郷土研究に努める。教員時代の教え子・後藤千秋と共に、当地域の民謡、わらべ歌を数多く収集し、民俗編に楽譜と共に収録している。その他、美濃加茂市社会教育委員、文化財保護審議会委員、加茂福祉事務所家庭相談員などを務めた。昭和46年度岐阜県芸術文化研究顕彰者、昭和48年瑞宝章。平成7年(1993)年、93歳で死去した。
【基本図書】『市史/通史編』『市史/民俗編』
【図書資料】№3508『小栗紫紅遺句集 うこん桜』、№4411『美濃加茂市文化財集録 第2集』、№6640『郷土の昔の民謡とわらべ歌』
【歴史資料】H2736「飯塚くにから小栗憲八宛手紙」、H2737「坪内士行から小栗憲八宛葉書」、H2798「飯塚友一郎から小栗憲八へ手紙」、H2806「河竹繁俊から小栗憲八宛手紙」、H2834「少年坪内逍遙」H3343「国体随筆 小栗憲八著」、H20280「小栗憲八資料一括」
【関連情報】〈中央図書館〉100785583『写真で見る太田小学校百年史』