美濃加茂事典
日信(にっしん)
 1925(大正14)年から1927(昭和2)年の間、津田左右吉鈴木拾五郎夫妻へ送った日々の通信。拾五郎の妻・佰子は富山県出身で、上京して身を寄せた家の主を通じて津田と知り合い、拾五郎と結婚する前まで津田夫妻と一緒に暮らしていた。早稲田中学校の教師をしていた拾五郎は、津田の弟子を通じて津田と知遇を得、伯子と出会った。津田は二人が結婚した翌月から二百字詰の原稿用紙に「日信」を書き始めた。内容は研究活動に関する事柄をはじめ、津田が見た展示の批評、読んだ本や聴いた音楽の感想文がある他、文学や音楽、美術を起点にした自由な随想文も多く含まれていた。「日信」の原本は鈴木家の火災で消失したが『津田左右吉全集 第二十七巻』でその内容は読むことができる。
【図書資料】No.1701『津田左右吉全集』第27巻、No.7813『黄昏の人 津田左右吉』