美濃加茂事典
蜂屋庄(はちやのしょう)
市域の平安時代からの庄園。長寛元年の史料「未進注文」に「蜂屋本庄」とあるのが初見。当初は摂関家領、のち後白河法皇領となり、「蜂屋北庄」「蜂屋南庄」の両庄に分かれたと推測される。庄内に太田郷などがあり「蜂屋太田」などと記されることもあるが、その成立や領域などは不明である。弘治年間の「かち田年貢銭目録」によると、「蜂屋南北」庄の年貢銭高は700貫であった。
【基本図書】『市史/通史編』p233,238,239,244,245,247,248,250,251,256,257,259,261,266,279,292,294、『市史/民俗編』p14,15、『市史/史料編』p2,3,19,20,31