美濃加茂事典
(いかだ)
 木曽川、飛騨川上流の材木は、古くから両川を流して運ばれたが、江戸時代になり尾張藩の支配になってから組織的に行われるようになった。木曽川では錦織で、飛騨川では下麻生で、それぞれに綱を張って木材をせき止め筏に組んだ。川合もしくは太田の木曽川で連結され犬山まで運ばれた。寛政年間の記録によると当時の太田村の筏乗りは43名であった。

【基本図書】『市史/通史編』p550~556 、『市史/民俗編』p229~237  
【図書資料】№696『錦織綱場 木曽川筏流送の歴史』、№852『美濃生活絵巻』(下)、№858『八百津町歴史探訪 筏の基地 錦織綱場 ・ 舟運の基地 黒瀬湊』、№891『木曽式運材伐木絵図』、№897『飛騨運材図会 飛騨資料』、№902『桴 いかだ』、№1114『木曽式伐木運材圖繪』、№1131『写真集 明治・大正・昭和美濃加茂』、№1202『濃飛見聞録 8 (1987) 水運で栄えた下麻生』、№1498『運材圖會』、№1871『下麻生町誌』、№2628『木曾式伐木運材法』、№2629『伐木運材圖説』、№2793『川とともに生きる』、№3501『市民のための美濃加茂の歴史』、№4461『木曽川水系の河川水運-近代における木曽川の運材と舟運-木曾三川水運の研究 1』、№18476『尾張藩社会と木曽川』
【歴史資料】№1317「木曽川と筏の絵図」、№1483「林岩左衛門倅金之助 桴乗手頭申付」、№1494「金之助 桴乗頭に付き 苗字帯刀差免」、№1534「飛騨川筋商材仕出し 太田より川下筋桴乗り継ぎ方の儀」、№20239「絵葉書 日本八景木曽川(日本ライン) 古井乗船場より小山観音を望む」、
【民俗資料】№174「イカダカイ」、№193イカダの模型」、№451「イカダカイ」、№651「筏櫂」、№2497「イカダノカイ」
【歴史写真】№1010「青柳橋と筏の乗下げ」、№1160「可児合を下る筏」
【展示情報】常設展「イカダ流し」
【関連情報】村瀬英彦「木曽川渡船に関する研究」(『紀要』2011