美濃加茂事典
松井左二平(まついさじへい)
 1889(明治22)年、稲葉郡黒野村より太田新田に入植。土地34町歩を購入し大規模な営農を行った。1891(明治24)年には濃尾大地震で決壊した加賀池の復興工事を行った。上古井村大畑市太郎の指導を得、それまで菜園であった畑を桑園に切りかえた。同年には、福島県より技術者を招き、私立の養蚕伝習場を開設した。新技術を導入した養蚕方法は本格的なもので、1893年には「蚕種製造並に生繭売却広告」を岐阜日日新聞に出している。一方、酪農の先駆で、明治30年代、乳牛を導入し牧場経営を行った。
【基本図書】『市史/通史編』p460,739,741,747,754,773,994、『市史/民俗編』p30
【図書資料】 №325『太田新田開拓史』p62~69、№1311『写真集美濃加茂』p50