美濃加茂事典
揖深庄(いぶかのしょう)
 市域の平安時代からの庄園。揖保、井深と記されることもある。建長5(1253)年の近衛家文書により当初近衛家領だったが、のちいずれかの段階で大乗院領となったと推定される。弘治年間の「かち田年貢銭目録」によると、当庄の年貢銭高は500貫であった。廿屋白山神社の弘治3(1557)年の棟札に「揖深之内津ゝ屋村」とあり、庄域は現在の伊深町だけでなく、三和町全域を含む広い庄園であった。
【基本図書】『市史/通史編』p238,239,249,256,257,266,282,288,302,303 、『市史/民俗編』p14,15 、『市史/史料編』p3,25,29