美濃加茂事典
濃飛文化会(のうひぶんかかい)
 戦後まもない頃の岐阜県下では、各種文化団体の結成、雑誌の創刊、講演会の開催などの文化活動が一時は隆盛を極めるものの、急速に終息に向かっていった。そうした状況に危機感を抱いた濃飛新聞記者の一ノ瀬武渡辺和郎が、県下に強力な総合的文化団体を作ることを企画。一ノ瀬が中心となり濃飛新聞紙上で会員を募集し、1か月ほどで800人近い会員を集めた。1947(昭和22)年10月下旬、日本ライン河畔で各地区代表者会議を行い、濃飛文化会を結成した。1948(昭和23)年2月は機関誌『総合文化誌 濃飛文化』を創刊する。この編集長は宝文館の花村奨だった。画人:岡本一平・水野一好、詩人:長尾和男・福田夕咲・岩間純、考古学者:林魁一、作家:江馬修らが参加していた。一平は漫俳の選者として、長尾和男は詩の選者として批評を加えたりもしている。一ノ瀬がいた美濃加茂周辺はしばしば会の活動の拠点となる。1948(昭和23)年には長尾和男による現代詩講習会が川辺小学校講堂で、1949(昭和24)年には太田小学校で春季総合文藝大会などが行われた。