美濃加茂事典
金子馬治(筑水)(かねこうまじ(ちくすい))
 哲学者。文芸評論家。教育者(1870~1937)。長野県生まれ。早稲田大学教授。演劇博物館初代館長。『早稲田文学』に論文、評論を発表。1890(明治23)年、文学科の第1期生として再入学。坪内逍遙を中心として始められた回覧雑誌『葛の葉』(のち『延葛集』と改題)の編集に当たった。文学科では哲学の指導を大西祝から受け、1893(明治26)年7月に優等で卒業、卒業論文「詩才論」は逍遙に激賞され、『早稲田文学』七、八月号に掲載された。新学期から母校文学科講師となり、英語を担当。以後『早稲田文学』に論文・評論を次々に発表、島村抱月とともに主要なメンバーとなった。明治39年2月第一次文芸協会が発足するに及び、抱月や水谷不倒らとともに発起人に加わった。文芸協会は明治44年2月組織を一変し、逍遙が会長となり名実ともに責任を負う第二次の再開に際しては幹事の一人になり、同時に付設の演劇研究所では脚本研究を担当教授した。明治40(1907)年には早大教授となり哲学、心理学、美学を講じた。大正9(1920)年文学部長、文学博士。昭和3(1928)年10月逍遙の古希祝賀と『新修シェークスピヤ全集』完結を記念して早大内に演劇博物館が開館、昭和4年4月からその初代館長となる。
【図書資料】No.1491『坪内逍遙事典』p93