美濃加茂事典
妙竜諦忍(みょうりゅうたいにん)
 山之上・中之番の仙石家に生まれ、戒律の研究などで学僧として名を知られた江戸時代の僧侶(1705~1786)。可児・兼山の神照寺で出家し、高野山などで修行ののち尾張の八事山興正寺に入る。享保19(1734)年、尾張藩主・徳川宗春の命により興正寺第5世を継いだ。白隠が修行していた山之上岩滝山で時期をともにした檀道圓極が諦忍の師であり、圓極を通して白隠との間に交流があった。宝暦2(1752)年の10月の記録には、白隠から諦忍に対して書画などが贈られたことが記されている。 「諦忍和上行業記」宝暦2年10月の条「十月駿州松陰寺白隠禅師より書簡及自画讃に対幅を贈らる 白隠禅師先年美濃北山の上村に寓居の時師と同庵なりし故に山川悠隔常になれとも其の旧義を念す」(『諦忍律師研究』上巻p89、p229)

【基本図書】『市史/通史編』p571
【図書資料】№25957『諦忍律師研究 上巻』、№25958『諦忍律師研究 下巻』、№26105『まちのいいものよいところ 山之上展』
【展示情報】企画展2017「まちのいいものよいところ 山之上展」