美濃加茂事典
生部郷(みぶごう)
 『延喜式』や『和名類聚抄』より、平安時代中期には美濃国に18の郡のあったことが知られている。そのうち加茂郡(賀茂郡)は、12の郷として組織されており、美濃国内でも多い編成といえる。ここでは、埴生(はにゅう)、美和(みわ)、生部(みぶ)、井門(いのへ)、小山(おやま)、米田(よねだ)、曰理(わたり)、神田(かんだ)、中家(なかついえ)、川邊(かわべ)、志麻(しま)、驛家(うまや)と表記されている。もともと律令制化の地方行政組織としては、国・郡・里を設け、50戸を1里としていたものの、霊亀元(715)年、里を郷とするなどの改変があった。当地の場所については、現在の加茂郡川辺町福島~比久見、または美濃加茂市蜂屋町中蜂屋~伊瀬を中心とした地域が候補地として挙げられている。
【基本図書】『市史/通史編』p196~198
【図書資料】№527『美濃國加茂郡誌』、№3321『濃飛両国通史 上巻』、№10554『「ミノ」「カモ」の古代 -御野国戸籍から1300年-』、№10824『歴史の山道と川の道シンポジウム 中山道と木曽川の今と昔 各務原市・犬山市交流事業』
【展示情報】企画展2002「「ミノ」「カモ」の古代-御野国戸籍から1300年-」