美濃加茂事典
太田郷(おおたごう)
 暦応4(1341)年の「修理権太夫奉書」には「蜂屋庄内太田郷」とあり、蜂屋庄の一部を構成していた鎌倉時代初頭からの郷の一つ。現在の太田地域を含めた区域に比定されるものの「蜂屋北庄」「蜂屋南庄」「蜂屋太田」の領域はかなり錯綜していたと推定される。県主神社はこの郷に属し、永正年間「太田郷賀茂社」(大仙寺文書)と記されている。弘治年間の「かち田年貢銭目録」によると、「太田領家」の年貢銭高は100貫であった。
【基本図書】『市史/通史編』p251,261,266 、『市史/民俗編』p17,18,26,28 、『市史/史料編』p6,10~18,19