美濃加茂事典
織田信長(おだのぶなが)
 戦国・安土桃山時代の戦国大名(1534~1582)。幼名・吉法師。織田三郎信長。上総介。 1534(天文3)年生まれ。織田信秀没後、家督を継ぐ。1559(永禄2)年、尾張国を平定。翌1560年桶狭間の戦いで今川義元を討つ。1565(永禄8)年、東美濃攻略でこの地域に侵攻し、猿啄城を攻め落とすと、堂洞城で岸勘解由を滅ぼす。信長は加茂地域に直接出陣し、陣頭指揮を執った。太田牛一の『信長公記』には「高き塚」でこの戦況を見守ったとされる。1567(永禄10)年、斎藤氏を追放して美濃国を手中に収めると岐阜を拠点とし天下統一を目指す。1568(永禄11)年、足利義昭を擁立して上洛。1573(天正元)年義昭を追放、浅井・朝倉連合軍との姉川の戦いで勝利。伊勢長島の一向一揆鎮圧。武田軍との長篠の戦いで勝利。毛利氏攻めに出陣中の1582(天正10)年6月2日、京都本能寺で明智光秀に攻められ自刃した。美濃加茂市民ミュージアムでは寄贈された信長関係文書7点を所蔵している。中国の幻想獣である麒麟の「麟」を模様化した花押の書状や「天下布武」の朱印状、黒印状などがある。
【基本図書】『市史/通史編』p264,267~271,463、『市史/史料編』p21,22、『市史/民俗編』p16,408,450
【図書資料】№326『蜂屋の歴史』、№2148『織田信長の系譜 信秀の生涯を追って』、№3722『織田信長と岐阜』、№4843『信長とその武将たち』、№6060『琵琶湖と中世の人々-信長以前・信長以後-』、№6862『マンガ 日本の歴史 25.織田信長の天下布武』、№8701『織田信長と岐阜』、№10928『南蛮 信長・秀吉・家康のみた東西交流 』、№15407『大名池田家のひろがり』、№16404『道三から信長へ』、№20422『信長関係文献目録』、№20942『信長と安土城 -収蔵品で語る戦国の歴史-』、№21604『織田信長と美濃・尾張』、№21605『図録信長』、№23715『天下人の時代』、№24121,24122,24123『増訂 織田信長文書の研究 上巻・下巻・補遺・索引』、№24136『信長資料集 第1集 天文三年~永禄六年』、№24190『織田信長の古文書』、№24470『信長の家臣たち』、№25136『夕雲の城』、№26052『信長からの手紙 細川コレクション』、No.26408「「文化の森コレクション展」展示資料について」『美濃加茂市民ミュージアム紀要 第17集 2018』p1-24
【データベース】「古文書」 1.織田信長朱印状2.織田信長朱印状3.織田信長書状4.織田信長黒印状5.織田信長朱印状
【展示情報】企画展2017「文化の森のコレクション展」