美濃加茂事典
明智光秀(あけちみつひで)
 戦国・織豊時代の武将(1528?~1582)。惟任日向守。明智氏は美濃国守護・土岐氏の流れを汲むとされるが、光秀の出自は不詳。1568(永禄11)年、足利義昭に従い越前から上洛。義昭、織田信長に仕えて寺社、公家などの政務を担当。1571(元亀2)年、近江国坂本に築城。1575(天正3)年からの丹波討伐等の戦功により丹波国を支配。1582(天正10)年6月2日、信長を本能寺で討つ。山崎の合戦で羽柴(豊臣)秀吉に敗北。逃走中の6月13日、山城国小栗栖で土着の民に襲われ、深傷を負い自刃。 
 美濃加茂市民ミュージアムでは寄贈された光秀関連の文書4点を所蔵している。特に2017年開催の「文化の森コレクション展」で紹介した土橋平尉(重治)宛の書状は、1582(天正10)年6月12日、本能寺の変の後、亡くなる直前に発給されたもので注目されるものである。
【基本図書】『市史/通史編』p277
【図書資料】№24122『増訂 織田信長文書の研究 下巻』、№25575『明智光秀 史料で詠む戦国史』、No.26408「「文化の森コレクション展」展示資料について」『美濃加茂市民ミュージアム紀要 第17集 2018』p1-24、No.28544『楽しくなる古文書~明智光秀資料を中心に~〈2020(令和2)年度美濃加茂市民ミュージアム企画展〉』