美濃加茂事典
大興寺(だいこうじ)
 堂洞合戦で織田信長が岸勘解由を攻めた時、村人が堂洞城の近くにあったお堂にあった仏像の仏頭を抜いて土中に埋めたとされ、その後掘り起こされ仏頭が安置されたと伝えられる寺で、明治初めに廃寺になった。大興寺の場所は現在の瑞林寺の東北500メートルあたりである。江戸時代の文化年間頃に、仏像と弥勒堂は瑞林寺へ移されたようである。現在のこの仏像は岐阜県重要文化財「木造弥勒仏坐像」として指定され、蜂屋大仏として親しまれている。 明治はじめに廃寺となった。
【基本図書】『市史/通史編』p268,283
【図書資料】№326『蜂屋の歴史』、№333『瑞林寺史』、№25136『夕雲の城』