美濃加茂事典
山之上村役場(やまのうえむらやくば)

 近代以降の山之上村の役場。明治以降1954(昭和29)年に美濃加茂市として合併するまで、山之上村役場は次のように場所を変えている。 (1)~1884(明治17)年 佐口(上古井村と下古井村を連合した「山之上村外二カ村」役場) (2)1887(明治20)年 各務(高台上、ヤマザクラの近く) (3)1930(昭和5)年~合併 各務(高台下、現在の小学校校庭の南) 合併時にあった役場の建物はないが、入口の石柱、登り道の脇に植えられていたプラタナスの大木などが当時をしのばせる。1884(明治17)年、区町村法が改正され全国各地には「連合村」ができた。この時山之上村は上古井村と下古井村を連合し「山之上村外二カ村」となり、その役場は山之上・佐口に置かれた。のち市町村制の公布により1889(明治22)年、山之上村は再び独立、それに合わせて役場建物は当時の小学校(西禅寺にあった「修身学校」が1882(明治15)年に西洞・諸屋に移転し、「山之上簡易科小学校」となっていた)の近くに移ったようである。その後、昭和5年に高台下の小学校のそばに移転した(小学校は明治36年に既に新築移転されていた)。
 「山之上村地誌略」(『山之上小学校百年誌』p5)によると「本村維新前、名古屋藩之所轄ニシテ、石高千九百六拾三石余ナリ、明治拾七年十月上古井村、下古井村ト連合シ、明治弐拾年(ママ)九月、町村制度実施之際、役場独立トナル」「山之上役場ハ、山之上学校ニ近シ接シ、外観質素内広闊ニシテ、壹村之事務ヲ取ルニ足ル曾テ上下古井之両村連合之字佐口ニ在リシガ、町村制実施之際此地ニ移セリ、郡衙ヘ二里余、岐阜県庁ヘ九里余、第三師団ヘ拾壱里余之巨離アリ」(原文のまま)とあり、各務・高台上にあった役場の様子がわかる。次の「本村役場位置変更ノ件許可申請」(昭和五年九月十八日 加茂郡山之上村長 大野鈊一 岐阜県知事鵜澤憲宛て)[岐阜県歴史資料館所蔵「役場位置変更告示ノ件(加茂郡山之上村)]には、各務高台下に移転する理由などが記され、それまでの役場の平面図が添付されている。「一、変更ヲ要スル事由 本村役場廰舎ハ明治二十八年ノ建設ニシテ甚ダシク腐朽シ且事務室其ノ他ノ構造旧式ニシテ執務上及一般公衆トノ接触上甚ダ不便ナルヲ以テ今回改築セントスルニ當リ、現在ノ位置亦實ニ交通不便ナル僻地ニ在ルヲ以テ東方ヘ三十五間ヲ距ル平地ニ移轉セントスルモノナリ 尚新役場位置(字各務三四六三番地、三四六四番地)ハ旧位置(字各務三四九八番地ノ二)ノ東三十五間ヲ距ルノミニテ村民大イニ賛成ニテ交通亦便利ナリ」

【図書資料】№745『山之上小学校百年誌』、№26105『まちのいいものよいところ 山之上展』
【展示情報】企画展2017「まちのいいものよいところ 山之上展」