美濃加茂事典
美濃派(みのは)
美濃地方では松尾芭蕉(まつおばしょう)の死後、芭蕉門下の十哲と呼ばれた各務支考(かかみしこう)が俳壇をリードし、「美濃派」と呼ばれる、平易で大衆的で親しみやすい俳風が広まった。1699(元禄12)年に支考が撰んだ句集『東華集』には深田、蜂屋、伊深の俳人が紹介され、この地域にも美濃派が息づいていたことが分かる。江戸時代にこの地域で活動した俳人・兼松嘯風(かねまつしょうふう)や堀部魯九(ほりべろきゅう)も美濃派に属する。近代においても勢力を保ち、地主層の一部に広まった。
【基本図書】『市史/通史編』p579~590,971
【図書資料】№3210『東海の俳諧史』
【展示情報】企画展2019「瑞林寺500年のはるかな旅展」