美濃加茂事典
御神木(ごしんぼく)
 伊勢神宮式年遷宮に伴い木曽で伐りだされ伊勢へ運ばれた桧の用材は御神木と呼ばれた。1921(大正10)年2月は、八百津の錦織の綱場でに組まれ、古井の川合などが中継地となって下流へ下された。その後の流送は、流域に大井発電所(1924年・大正13)や今渡発電所(1939年・昭和14)などのダムが建設されたためそれができなくなった。1941(昭和16)年の御用材は、美濃太田まで鉄道で輸送された後、川を下ることとなった。10月5日、奉曳車(御神木を運ぶ車)に積み替えられたあと、太田小学校児童らによって、木曽川河原まで引かれた。河原では昼夜にわたり厳粛な神事が行われ、一泊したあと、翌10月6日、「御神木流し」として下流へ下された。「大一」「天照皇大神宮」の幟を掲げた6艘の船によって搬送された。御神木は、地域にとっての一大行事で多くの人々が集まり、絵葉書なども発行された。
【図書資料】№852『美濃生活絵巻 下』p30~33、№1311『写真集 明治大正昭和美濃加茂』p45,46、№20440『可児・加茂の今昔』p115