美濃加茂事典
岐阜国体(ぎふこくたい)
1965(昭和40)年に岐阜県で開催された第20回国民体育大会の略称。1961(昭和36)年に美濃加茂市が秋季大会のレスリング会場になることが内定し、市は翌年に国体準備委員会を設立して準備を始め、施設の整備などを進めた。1964年には岸東八郎市長を代表に国体実行委員会を発足させ全市あげての準備体制を整えた。国体開催に先立ち、1965年10月20日と21日の二日間、大会旗が美濃加茂市内の太田・古井・蜂屋・伊深を走り抜けた。走者は、自治会、消防団、青年団、中学生、高校生などがつとめ、開催に対する熱意の盛り上がりにつながった。レスリング競技は10月25日から4日間にわたって行われた。一般の部は加茂高等学校、高校の部は太田中学校が会場となり熱戦が繰り広げられた。市民は競技の運営や選手役員のサービスなどそれぞれの立場で協力した。地元選手の活躍もめざましく、出場5名全員が入賞、優勝した渡辺保夫選手らが駅前通りをパレードした。なお、渡辺選手は前年行われた東京オリンピックで5位に入賞した選手であった。
なお、国民体育大会のロードレース競技が10月28日に行われた。大垣市をスタートし土岐市で折り返すコースとなり、県内の7市町とともに美濃加茂市内でも自転車選手が疾走した。
また、夏季大会において、9月22日に恵那峡で開催された高校女子ナックルフォアの部で、加茂高校の女子ボート部が優勝した。なお、翌年の大分国体以降の大会でも連覇した。
なお、国民体育大会のロードレース競技が10月28日に行われた。大垣市をスタートし土岐市で折り返すコースとなり、県内の7市町とともに美濃加茂市内でも自転車選手が疾走した。
また、夏季大会において、9月22日に恵那峡で開催された高校女子ナックルフォアの部で、加茂高校の女子ボート部が優勝した。なお、翌年の大分国体以降の大会でも連覇した。