美濃加茂事典
ライン下り(らいんくだり)
 愛知県の犬山まで木曽川を下る観光遊船事業である。その歴史は大正時代までさかのぼる。著名な地理学者であった志賀重昂(しがしげたか)は、1913(大正2)年にこの地を訪れた。犬山から舟で溯って太田宿に入り、木曽川河畔の望川楼に宿泊、翌日の加茂農林学校の講演後、舟で犬山へ下った。その年木曽川を再訪した志賀は、手紙の中で「木曽川岸、犬山は全くライン(?因河)の風景其儘なりと…」と記した。世界の風景を知り尽くした志賀は、犬山城のある木曽川の光景を、絶壁の古城と大河で名高いドイツのライン川の風景に見立てて絶賛した。これを機に、響きのいい「ライン」という言葉がブランドとして流域の観光に使われていくようになった。「ライン下り」が本格的に始まったのは、1924(大正13)年の可児・土田の大脇湊から犬山への遊船事業である。名古屋鉄道は1925(大正14)年に今渡線を開通させてライン遊園駅から観光客を乗り場に運び、料理旅館「北陽館」とともに、乗り場周辺は「ライン遊園」として賑わい始めた。
 1927(昭和2)年は、この地域にとって画期的な年となった。国民の生活に少しゆとりができたことを背景に、また、昭和という新時代にあわせて同年5月に新聞社が設けた「日本新八景」の募集に全国が熱狂し、その河川の部門で木曽川が第一位に選ばれた。この選定と直後の天皇行幸、昭和六年の木曽川の国の「名勝」指定なども影響し、すでに始まっていた木曽川の観光「ライン下り」事業は飛躍的に進んでいく。
 大正末の名古屋鉄道の今渡線の開通、1921(大正10)年の美濃太田駅の開業など、この地域の鉄道網も整備された。そして人々の動きも活発になり旅が身近なものになったことも観光事業の発展に大きく関係した。太田や坂祝からの乗り場、さらに上流の古井(森山)からの乗り場など各所で乗り場が開設されていく。古井は景勝地・小山観音あたりの飛騨川に「日本奥ライン」という名称をつけ地域をあげてPRに励んだ。この頃は人々の間に「郷土意識」が強まっていく時代でもあり、「名所」を生かした地域の観光開発を進めていった。
 戦後は、美濃加茂(中之島)と可児・今渡の二か所が乗船場として集約された。1964(昭和39)年に飛騨木曽川国定公園に指定されたことも相まって日本ラインは有名になり全国各地から多くの観光客が訪れた。そのピークは1973(昭和48)年。美濃加茂側分49万5千人、可児側分24万8千人に上った。しかし、その後は、人々の観光スタイルの変化や時代の変遷により観光客は減少し、2012(平成24)年をもってライン下り事業は幕を閉じた。

【基本図書】『市史 通史編』p920,1109~1115
【図書資料】№722『木曽川日本ライン冩真画帖』、№948『ライン探勝案内』、№1311『写真集 明治大正昭和 美濃加茂』p10,13,14,20,21,53、№3501『市民のための美濃加茂の歴史』p80,81、№14721『写真で見る美濃加茂市五〇年』p4,7,9,34、№18983『日本ライン下り縁起』、№20695『木曽川学研究 第8号』可児光生「「日本ラインの不思議」に関して」、№21213『美濃加茂市民ミュージアム紀要 第10集』可児光生「「日本ライン」下りの歴史」、№22842『美濃加茂市民ミュージアム紀要 第13集』可児光生「「郊外」犬山と木曽川 ~大正から昭和を中心に」、№23386『「ラインの風景」展 -めぐる人々とその歴史-』、No.26086『風景の大衆化と「郷土」-大正から昭和初期の「日本ライン」をめぐって-』、№27137『日本ラインの石、岐阜チョウの道』
【歴史資料】№3285「市勢要覧みのかも1959」、№3316「日本ライン河畔の地名と河流の名称略図」、№4654「絵ハガキ「日本八景木曾川(日本ライン)」」№10430「天下之絶勝 日本ライン名所図繪」、№10663「日本奥ライン絶景 絶勝佳景」、№11867「切手(飛騨木曾川国定公園)(日本ライン)」、№12546「ライン」、№19125「日本ラインパンフレット(日本ライン温泉)」、№19127「「麗はしの風光日本ライン」パンフレット」、№19128「日本ライン太田舞踊 木曽川附太田音頭他」、 №19404「日本ライン遊覧御案内」、№19405「日本ライン探勝案内 ライン下りは太田から」、№19407「日本ライン 御案内」、№19648「日本ラインご案内」、№19688「ライン下り乗船券」、№19692「日本ライン観光株式会社創立40周年記念 盃(宝船)」、№19696「ライン探勝案内 ライン下りは太田から」、№19699「ライン下りはみの太田から 觀光都 美濃加茂市」、№19708「日本ライン(チラシ)」№19709「日本ライン下り(ライン遊園乗船組合)」、№20211「ライン下りは太田から(ポスター)」、№20220「日本八景木曽川 日本ライン太田渡、今昔(絵葉書)」、№20221「日本八景木曽川 日本ライン起点 岐蘇遊園ノ景」
【民俗資料】№4665「日本ライン看板」