1654(承応3)年、加茂郡深田村(現在の美濃加茂市深田町)の農家の子として生まれる。蕉門の俳人。松尾芭蕉の高弟である蕉門十哲の内藤丈草と
各務支考と交流があった。1704(宝永元)年、美濃派俳諧の集大成として編んだ美濃派俳人の句集『国の華』(全12巻)の第4巻
『藪の花』の選を担当し、可児・加茂地区の部分を担当した。蜂屋の俳人・
堀部魯九は嘯風に俳諧の手ほどきを受けている。交流のあった俳人たちと共に1705(宝永2)年の秋、句集「ふくろ角」を選集するも刊行前の1706(宝永3)年5月に病没。嘯風の子で俳人の水尺が嘯風追悼の句を加えて刊行した。