美濃加茂事典
沢柳政太郎(さわやなぎまさたろう)
 1865(慶応元)年、松本藩の藩士の長男として生まれる。明治時代に活躍した文部官僚、教育者。文部次官や京都帝国大学総長などを歴任し、成城学園の創始者でもある。1891(明治24)年、東京専門学校を卒業した津田左右吉が書生として住み込んだのが沢柳の宅だった。1893(明治26)年に沢柳が京都大谷尋常中学校長として赴任すると、津田はその縁故で東本願寺別院附属高岡教校の教員となった。1895(明治28)年頃に津田にとって最大の恩師となる東洋史家の白鳥庫吉を津田に紹介したのも沢柳であった。1927(昭和2)年没。
【図書資料】№18802『津田左右吉 -その人と時代-』p6
【歴史資料】№14217「沢柳政太郎よりの絵はがき」
【展示情報】企画展2003「津田左右吉 -その人と時代-」