江戸・元禄時代の蜂屋の俳人。通称佐七郎、生年不明。下蜂屋村(現在の美濃加茂市蜂屋町)鍛冶洞の堀部五兵衛の次男として生まれ、若い時分に深田村の俳人・
兼松嘯風に俳句の手ほどきを受け、蕉門十哲の内藤丈草に師事した。出家して蜂屋の茶磨山(一名ドンケ山)に孤耕庵という庵を結んだ。この庵には、名古屋の沢露山や蕉門十哲の各務支考などの俳人が訪れている。丈草の一周忌には西国を旅行し、旅の記録と集めた句作を編集して「春鹿集」を作った。魯九と一門を記念した石碑「
元禄蜂屋俳人之碑」が蜂屋の
瑞林寺に建てられている。1750(寛延3)年没