美濃加茂事典
津田事件(つだじけん)
国家主義が台頭する戦時中、自由主義的研究者を追い落とす風潮の中で起こった津田左右吉の研究に関する事件。1939(昭和14)年、東京帝国大学での講義中、津田は一部の学生から講義と関係ない質問攻撃を受け、雑誌『原理日本』には「津田左右吉の大逆思想」と報じられる。翌年、『神代史の研究』『古事記及日本書紀の研究』『日本上代史研究』『上代日本の社会及び思想』の四冊が皇室の尊厳を冒涜する反逆思想として、左右吉と出版元の岩波茂雄が起訴された。津田は裁判所に対する上申書の原稿を作成、不当な言葉の取り出し、判断理由の不提示、学問的な研究過程や本質に関する顧慮の欠如等、起訴の不当性を冷静に指摘した。津田の原稿は常子夫人が清書し、岩波書店によって印刷・製本された。1942(昭和17)年5月21日、禁固3か月・執行猶予2年の有罪判決が下されたため控訴するも、1944(昭和19)年に時効で免訴となった。
【図書資料】№18802『津田左右吉 -その人と時代-』p18~21、№21021『没後50年 津田左右吉展』p23~27
【歴史資料】№14007『日本上代史研究』、№14237『神代史の研究』、№14238『古事記及日本書紀の研究』、№14240『上代日本の社会及び思想』
【展示情報】企画展2003「津田左右吉 -その人と時代-」、企画展2011「没後50年 津田左右吉展」
【歴史資料】№14007『日本上代史研究』、№14237『神代史の研究』、№14238『古事記及日本書紀の研究』、№14240『上代日本の社会及び思想』
【展示情報】企画展2003「津田左右吉 -その人と時代-」、企画展2011「没後50年 津田左右吉展」