美濃加茂事典
林小一郎(はやしこいちろう)
 政治家。加茂地方における地租改正や国会開設請願運動の中心として活躍した。嘉永6 (1853)年、太田宿脇本陣の林家に生まれ、16歳のとき衽革隊に入って維新前後の動乱に加わる。その後、加茂郡役所書記を経て明治12(1879)年、県会議員に当選すると東濃・飛騨の利益を代表するいわゆる「山岳派」の代表者として、西濃重視の県知事に反対しつづけた。明治15(1882)年、自由党の板垣退助が来遊したときには太田で懇親会を計画した。明治23(1890)年に行われた第1回衆議院議員選挙に、自由党系として立候補して当選したが、第2回選挙では、政府と県当局の濃尾大震災の復興費分配をからめて干渉を受けたこともあり落選した。明治37(1904)年の選挙では、伊藤博文の政友会から立候補して議席を回復している。大正15(1926)年、74歳で死去した。
【基本図書】『市史/通史編』p660~667
【図書資料】№3501『市民のための美濃加茂の歴史』p98、№3642『人類学雑誌 第43巻 第11号(美濃國恵那郡福岡村の石器時代遺跡及び遺物・林魁一)』、№913『太田町史草稿』、№3850『岐阜県に於ける史前考古学手引き』、№1311『写真集 明治大正昭和美濃加茂』p48,49