美濃加茂事典
ブルーノ・タウト(ぶるーの・たうと)
 1880年、ドイツに生まれる。建築家として活躍したタウトは、日本の建築を巡る旅の中で、岐阜県内を回る途中に美濃太田駅を2回通っている。1回目は1935(昭和10)年5月16日、東海道線で京都から岐阜に入り、高山線に乗換えて下呂に向かい、日本ラインを見た感動を日記に書いた。下呂、飛騨高山、白川村を観光した後、通行止めに遭遇した一行は車を諦め、北濃から鉄道に乗車、山水図のような車窓風景を楽しみ、美濃太田駅で降車した。5月18日の日記には、宿泊のために立ち寄った亀屋旅館では取調べを受けた時のことを腹立ち交じりに書いている。1938年没。
【図書資料】No.30691『日本美の再発見』、No.30693今昔「飛彈から裏日本へ」 タウトの見たもの」
【展示情報】企画展2021「鉄道のまち展 美濃太田駅開業から100年」企画展2023「パネル展 書かれたこの地を読む みのかもブックマーク」