美濃加茂事典
田中純(たなかじゅん)
 1890(明治23)年、広島県広島市に生まれる。早稲田大学英文科卒業。吉井勇、久米正雄らと雑誌『人間』を創刊。小説や翻訳を手掛け、劇作家としても活躍した。1966(昭和41)年、死去。画家の小杉放庵の絵と田中純の文による『美濃と飛騨の旅』(日本風景協会発行、1931年)に収録された「木曽川下り」という文章には、二人が太田観光と川下りを楽しんだ様子が記され、挿絵には岩場近くを進む舟の景が描かれている。その文中で田中は木曽川の河原で見た「日本ライン」という名前に違和感を覚え、「木曽川」という古来の名前を愛すべきと主張している。祐泉寺では槍ヶ岳の開山者でこの地に没した播隆の歌碑を読み、その感興を書いている。
【図書資料】№30022『美濃と飛騨の旅』
【関連情報】広報みのかも№1072(2022年10月号)