美濃加茂事典
山之上果樹園(やまのうえかじゅえん)
山之上の上野地区を開墾して開かれた果樹園。1924(大正13)年に中之番の山田仲三郎(1875~1957)が一般的な農地としては不適だった上野の土地を田として開拓し、時期を同じくして佐口佐太郎(1898~1988)が、約1ヘクタールの土地を借り受けて柿の栽培を行ったのが果樹園の始まりである。当初はかなり困難をきわめたが、徐々に入植者が増えてきたため、山之上村では1931(昭和6)年に開墾耕地整理組合を組織、地区外からの入植を奨励しつつ村を上げて事業に取り組んだ。大正から昭和の初めにかけて、柿に続いて梨、ぶどうの栽培も始まった。梨は1932(昭和7)年頃から新植され、長十郎、二十世紀の品種がつくられた。戦争が始まったこともあり一時衰退したが、疎開を兼ねた入植者や戦後の引揚者の入植者があり、生産量は増えていった。1948(昭和23)年には山之上果実農業協同組合が結成された。ぶどうは生食用から醸造用に生産されることが多くなり、ぶどう酒の生産が盛んになった。