美濃加茂事典
太郎洞池(たろうぼらいけ)
 幕末から明治にかけての灌漑用溜池。蜂屋村加茂神社の西にあり、太田村が上蜂屋村から土地を永代借用(のち昭和初期に太田町が取得)し築造された。三代目の福田太郎八の力により幕末に大きく拡張されたが、それ以前の少なくとも江戸時代中期には池は存在していた(『濃州徇行記』ほかによる。)。幕末のその工事は1864(元治元)年から1866(慶応2)年にかけて行われ、旧来の池の面積が約4倍に広がり貯水量が飛躍的に増えた。工事には延2万4千人の人足が投入され、1179両という巨額な費用を要することとなり、資金の調達に困窮した。太郎洞池のほか、太田村の北に連なる河岸段丘沿いに加賀池、御手洗池が福田太郎八の主導で幕末に改修された。

【基本図書】『市史/通史編』p456~460、『市史/史料編』p605~609、『市史/民俗編』p22
【図書情報】№325『太田新田開拓史』、№833『濃州徇行記』p229、№3501『市民のための美濃加茂の歴史』p54,98、№22321『中山道太田宿に生きた人々の系譜』
【歴史資料】№1811「太郎洞池築立入費取調帳」、№1813「太郎洞池普請付金銭米穀借用通」、№1814「太郎洞池普請諸入用帳」、№1815「太郎洞池築立 文書集 1 (解説書)」、№19412太郎洞池関係 大正元年~昭和21年」、№19413太郎洞池関係証文 解文書(元治元年)」、№19414太郎洞池約定証文」、№19415太郎洞池絵図」、№19416太郎洞池絵図(複製)」

【展示情報】常設展「太郎洞池」