美濃加茂事典
愛宕山(川辺)(あたごやま)
加茂郡川辺町にある山(標高268m)。山裾がのびやかな稜線を描くことから、地元では「米田富士」の別名でも親しまれている。室町時代末期には山頂に米田城が築城され、これは初代城主の肥田忠直が築いた福島城を移築したものであった。肥田氏はこの城を拠点として、米田庄一一帯を支配していた。天正10(1582)年に起きた本能寺の変の後に美濃金山城主・森長可に攻囲されて落城し、現在は礎石や堀跡などの遺構のみが残る。現在、城址の中腹にあった肥田氏の居住跡には加茂神社が建てられ、山頂には愛宕神社がある。美濃加茂市下米田町東栃井に生まれた津田左右吉が晩年に著した「こどもの時のおもひで」(津田左右吉『おもひだすまゝ』所収)では、この山での出来事が度々登場し、左右吉にとって馴染み深い故郷の情景の一つであったと思われる。春には山頂から南方に広がる菜の花畑の景色を楽しみ、秋には家族に連れられキノコ狩りに出かけている。また、母校である文明小学校ははじめこの山の麓にあり、学校の行事では全児童で加茂神社にお参りをしたそうである。
【基本資料】『市史/通史編』p975~981