美濃加茂事典
富士山(ふじさん)
美濃加茂市山之上町にそびえる山(標高357m)。「山之上富士」などといった名称でも親しまれる。頂上には富士神社があり、この社殿はかつて白隠慧鶴(1685~1768)が記した「濃陽富士山記」(市指定有形文化財)が納められたところであり、そこには白隠が山之上村で修行をしていた際に、身の回りの世話をしていた鹿野善兵衛から伝え聞いた富士山の由来が記されている。それによると、善兵衛の祖先は富士浅間大菩薩の信仰者で駿河の富士山に度々参詣していたが、年老いて再びこの富士の霊場に参詣できないであろうことを憂い神前で黙祷をしていたところ、一寸八分の阿弥陀の金像を授かった。歓喜して村に帰り、この山に祠を設けて金像を安置して富士山と名付け、持ち帰った小松を山頂に植えたといった話である。白隠はここで、普く人々を照らす山之上の富士山の威容を「普慈」とも称えており、この山に対して崇敬の念を抱いていたことが分かる。また明治17(1884)年に愛国交親社の一部の社員を中心として地租の引き下げや徴兵令の撤廃を求めて蜂起した「美濃加茂事件」においては、この山が蜂起した農民たちが立て籠もった拠点となっている。
 全国には現在、「富士」の名を冠した山は300を超えると言われるが、正式名称を富士山として地図上に記載されている山は数少ない。現在、山梨県河口湖畔にある「富士山の集いモニュメント」には、山之上富士山の名前と石が展示されている。
【基本資料】『市史/通史編』p567,568,670、『市史/民俗編』p29
【図書資料】№2438『白隠「濃陽富士山記」について』、№3501『市民のための美濃加茂の歴史』p97,106、№20258『美濃の白隠 (美濃加茂ふるさとファイル№15)』、№26105『まちのいいものよいところ 山之上展』、No.30187『バス停からの小さな旅』
【データベース】「美濃加茂市の文化財」指定文化財一覧 白隠筆濃陽冨士山記(市指定)