美濃加茂事典
志賀重昂(しがしげたか)
 1863(文久3)年、現在の愛知県岡崎市に生まれる。札幌農学校(現北海道大学)を卒業後、雑誌「日本人」の創刊に参加。1894(明治27)年発刊の『日本風景論』は、わずか2カ月で完売するほどの人気で志賀は広くその名を知られた。1913(大正2)年5月、岐阜県加茂郡教育会が主催する加茂農林学校(加茂郡古井町・大正元年開校)での講演のため、美濃加茂を訪れた際、犬山までを往復した。その時に犬山城下の木曽川の光景を高く評価し、ドイツのライン川と絶賛した。このことが「日本ライン」の名称の誕生となった。1927(昭和2)年、63歳で没。太田の祐泉寺に墓がある。
【基本図書】『市史 通史編』p986,987
【図書資料】№1311写真集 明治大正昭和美濃加茂』、№3501『市民のための美濃加茂の歴史』p99、№14854奉迎 美濃加茂市1957』、№23387企画展2015「ラインの風景-めぐる人々とその歴史-」、№26086『風景の大衆化と「郷土」-大正から昭和初期の「日本ライン」をめぐって-』
【歴史資料】№19124志賀重昴の書 (我国に・・・」)」
【美術工芸作品】№134《馬車》
【展示情報】企画展2015「ラインの風景-めぐる人々とその歴史-」企画展2023「パネル展 書かれたこの地を読む みのかもブックマーク」