美濃加茂事典
日本ライン(にほんらいん)

 「日本ラインという名称は、1913(大正2)年、地理学者の志賀重昂が、公演のため美濃加茂市を訪れ、犬山城下の木曽川の風景をドイツのラインと絶賛したことに始まる。志賀は書簡で「犬山は全くライン(莢因河)の風景其儘」と述べ『続世界山水図説』において「ラインは即ち犬山城下の木曽川」と書いた。川の断崖の上にある城のある風景をライン川に似ているとした。これをきっかけにして「ライン」が響きのいいブランドとして好まれ、犬山でなくそれより上流の自然美あふれる木曽川が「日本ライン」と呼称されるようになった。1927(昭和2)年の日本八景選定時にはすでに普及していたようであり、また、加茂郡古井では木曽川に合流する飛騨川を「日本奥ライン」と呼称していた。
 「日本ライン」という呼称については、当時物議をかもした。1927(昭和2)年、日本八景選定直後に寄稿文作成のため来訪した北原白秋は「日本ラインという名称は感心しないね」と述べ、また、名勝指定(1931年)に先立つ議論でも、「純粋保守論者」から西洋のまねでなく日本古来の名称で呼ぶべきだとの主張が盛んにされた。(「ライン下り」の候参照)

【基本図書】『市史 通史編』p986~987、p1109,1110
【図書資料】№766『犬山の歴史散歩』、№1316『日本八景木曽川探勝案内』、№3501『市民のための美濃加茂の歴史』p80、№7337『志賀重昂全集 第5巻』、№21213『美濃加茂市民ミュージアム紀要 第10集 2011』、可児光生『「日本ライン」下りの歴史』、№22842『美濃加茂市民ミュージアム紀要 第13集 2014』、可児光生『「郊外」と木曽川~大正から昭和を中心に』、№26086『風景の大衆化と「郷土」-大正から昭和初期の「日本ライン」をめぐって-』
【展示情報】企画展2015「ラインの風景-めぐる人々とその歴史-」常設展「日本ライン案内」企画展2023「パネル展 書かれたこの地を読む みのかもブックマーク」