群像
みのかも
坪内逍遙と津田左右吉はこの地の出身です。二人とも日本の近代文化史にのこる偉大な学者です。残された遺品や原稿などから二人のいろいろな思いや業績をたどります。また、美濃加茂と関わりの深い文化発展に貢献した人物も紹介します。
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坪内逍遙
津田左右吉
美濃加茂の先人たち
坪内逍遙
坪内逍遙(1859~1935)の業績と人柄を探ります。
津田左右吉
津田左右吉(1873~1951)の業績と人柄を探ります。
美濃加茂の先人たち
美濃加茂の地域に関わりのある志賀重昴、岡本一平、佐野一彦・えんね夫妻、神保朔郎を紹介します。
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石碑「山椿の歌」の拓本
坪内逍遙からゆかりの寺・祐泉寺に宛てたはがきです。逍遙はふるさとの思い出を歌った「山椿の歌」を色紙にしたためて贈りました。現在、祐泉寺にはこの歌碑がのこり、太田に逍遙の深いかかわりをしのばせています。
関連情報
美濃加茂事典No.323「坪内逍遙(つぼうちしょうよう)」
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津田左右吉の眼鏡
津田左右吉は、明治6(1873)年、現在の美濃加茂市下米田町に生まれました。史料にもとづく歴史の研究を日本で初めて確立し、日本だけでなく、中国や朝鮮半島の地理や歴史の研究に大きな役割を果たしました。そうした功績が認められ、晩年には文化勲章を授与され、美濃加茂市の名誉市民にもなってます。
関連情報
美濃加茂事典No.321「津田左右吉(つだそうきち)」
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明治29(1896)年8月28日
群馬県助教諭 月俸
(ぐんまけんじょきょうじゅ げっぽう)
これは、津田左右吉が群馬県で助教諭をしていた頃の給与の通知文書です。その裏面に津田は、月給25円という金額を自分自身の値踏みとして皮肉るような落書きをしました。書きなぐったような筆遣いには、どんな思いが込められているのでしょう。
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神保朔郎
(じんぼうさくろう)
神保朔郎は美濃加茂市の地域史研究家、歴史学者です。「蜂屋の歴史」を手書き印刷でまとめたのをはじめとして、地域の歴史と文化財の調査研究に尽力しました。『美濃加茂市史』の刊行をはじめとした彼の研究業績は、現在の美濃加茂市民ミュージアムの博物館活動と歴史研究の基礎となっています。
関連情報
美濃加茂事典No.705「神保朔郎(じんぼうさくろう)」