川
と
文化
飛騨川・木曽川の合流点であるこの地域は豊かな自然を背景に、古くから文化を育んできました。特に、西と東の文化、山間と平野の文化の交流が活発でした。数多くの遺跡発掘調査の資料を中心に、この地域のはじまりと展開をひも解きます。
●
✖️
現在地
テーマを選択
▶︎
石器と縄文土器
弥生土器/地域の歴史墳
古代のカモ地域
古代の交流/中世の信仰と生活
尾崎遺跡
石器と縄文土器
美濃加茂市の遺跡から出土したものを中心に展示しています。旧石器時代から縄文・弥生・古墳時代に暮らした人々の姿がよみがえりました。川とともに暮らした人々、その生活の一端に注目しています。
弥生土器/地域の遺跡
美濃加茂市の遺跡から出土したものを中心に展示しています。旧石器時代から縄文・弥生・古墳時代に暮らした人々の姿がよみがえりました。川とともに暮らした人々、その生活の一端に注目しています。
古代のカモ地域
美濃加茂盆地の西方、太田地区の周辺に7世紀末から8世紀にかけての様式を持つ古代瓦が7か所より出土しました。昔、ここに古代寺院のあったことを物語っています
古代の交流/中世の信仰と生活
土器に刻まれた文字情報から、この時代の様相を探ります。
尾崎遺跡
文化の森全体にひろがる尾崎遺跡に関する情報を紹介します。
✖️
下呂石
(げろいし)
この地方の遺跡で発見される刃をもつ石器の多くは、「下呂石」とよばれる石から作られています。この石は今でも、岐阜県下呂市にある湯ヶ峰の露頭(地表に現れている場所)で採集できます。
✖️
アンギンアミ
新潟県十日町市博物館所蔵品を参考にしています。縄文時代にも、このような道具を使って布を編んでいたと思われます。
✖️
白鳳時代
矢田廃寺出土瓦
(やだはいじしゅつどがわら)
出土した瓦の中には特に目を引く肉厚な瓦片がいくつかあります。魚の尾に似た鴟尾瓦(しびがわら)というものです。7世紀後半とされる矢田廃寺は、不明な部分も多いですが、広く注目される遺跡です。
関連情報
美濃加茂事典No.350「矢田廃寺跡(やだはいじあと)」
✖️
奈良時代
美濃刻印須恵器
(みのこくいんすえき)
「美濃」あるいは「美濃国」と印を押したりヘラ書きされた土器が、岐阜県の内外で出土しています。この土器は、8世紀前半より岐阜市老洞(おいぼら)などの窯(かま)で焼かれたものです。土器の出土地は、西は奈良県や大阪まで、東は長野県にまで範囲が広がっています。
✖️
文治3年(1187)
十二社神社陶製経筒
(じゅうにしゃしんじゃとうせいきょうづつ)
経筒(きょうづつ)とは、仏教の経典を納めた容器のことです。山之上の十二社神社の境内付近にあった経塚(きょうづか)から出土しました。容器の裏には製作年などが示された貴重なもので、現在、美濃加茂市指定文化財に指定されています。
関連情報
美濃加茂事典No.575「十二社神社陶製経筒(じゅうにしゃじんじゃとうせいきょうづつ)」
美濃加茂市の指定文化財「十二社神社陶製経筒」
✖️
8世紀後半~10世紀頃
ヤリガンナ
ヤリガンナとは、槍の反った穂先(ほさき)のような刃に柄(え)を付けた鉋(かんな)のことです。1997年、美濃加茂市蜂屋町の尾崎遺跡(みのかも文化の森敷地内)から出土したヤリガンナはその形状や大きさから、大工道具として使用されたものとみられます。その出土状況から8世紀後半~10世紀頃と推定されています。
関連情報
美濃加茂事典No.708「ヤリガンナ(やりがんな)」