身近にある
歴史や風景
この地で活動した僧たちや歴史を記録した人物が残したものなどから、美濃加茂という地域をより深く見つめます。身近にも、いろいろなところに歴史というものは潜んでいることにも気付かされます。
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太郎洞池/祈りの世界
記録するということ
太郎洞池/祈りの世界
文化の森近くの太郎洞池の歴史や、道端で見かける石仏、道標などを紹介します。わたしたちの身近にも、思わぬところに歴史はひそんでいます。
記録するということ
高橋余一、佐野一彦、高橋余一をはじめとした、この地のことを、ひたむきにとどめようと記録してきた人と、そのことがらを紹介します。
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元治元(1864)年
太田村・上蜂屋村取替証文
(おおたむら・かみはちやむらとりかえしょうもん)
取替証文(とりかえしょうもん)に添付されている絵図(右が北)で、工事前のため池が描かれています(青色)。池の上に斜めに引かれた黒線が新しい池の堤防位置です。右側の田の部分(黄色)全部に池を広げる計画図となります。
関連情報
美濃加茂事典No.646「太郎洞池(たろうぼらいけ)」
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寛文11(1671)年
円空作木造馬頭観音立像
(えんくうさくもくぞうばとうかんのんりゅうぞう)
三和町下廿屋(しもつづや)の「観音洞円空窟(かんのんぼらえんくうくつ)」は、円空が修行し仏像をつくった場所と伝えられます。この像はかつて、洞窟付近の祠(ほこら)に安置されていました。その棟札から寛文11(1671)年という制作年代がわかり、彼の作風の変遷を知る大きな手掛かりです。
関連情報
美濃加茂事典No.687「円空(えんくう)」
美濃加茂市の指定文化財「円空作木造馬頭観音立像」
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みのかもの道案内
道標(道標)はかつて、旅人の道案内として重要な役割を果たしていたものです。ここでは、市内にのこる道標を紹介しています。記される行先は、当時、街道を通って地域の交流があったことを裏づけています。
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髙橋余一 生活絵巻(部分)
(たかはしよいちせいかつえまき(ぶぶん))
岐阜県加茂郡古井町出身の高橋余一(明治31~昭和59)によって制作された全19巻の絵巻物です。明治末期から昭和時代にかけての古井町の庶民の日常的な暮らしが俳画風(はいがふう)の絵と詞書(ことばがき)で記録されています。昭和30年代後半、時代とともに消え去り行くの庶民の風俗や文化を、自分の記憶をたどりつつ克明に記した絵巻です。
関連情報
美濃加茂市の指定文化財「高橋余一生活絵巻」
美濃加茂事典No.717「高橋余一画古井生活絵巻(たかはしよいちがこびせいかつえまき)」
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昭和30年代以降
佐野が使用したカメラほか
佐野は、ハーフサイズのポジフィルム(スライド)で撮影を行っていました。
関連情報
美濃加茂事典No.117「佐野一彦(さのかずひこ)」