美濃加茂の人物
 日本近代の歴史学者、思想家。加茂郡栃井村(現在の美濃加茂市下米田町)生まれ。1890(明治23)年、東京専門学校(現早稲田大学)に入学。卒業後中学教師をしていたが、1908(明治41)年歴史学者・白鳥庫吉が指導する満鮮歴史地理調査室に入り、歴史研究に専念する。1913(大正2)年、「神代史の新しい研究」を皮切りに「文学に現はれたる我が国民思想の研究」「古事記及日本書紀の研究」などを発表し、客観的史実に基づいた歴史研究を進める。1940(昭和15)年、津田の古代史研究が攻撃されて著書4冊が発禁処分となり、津田と出版社の岩波茂雄は出版法違反で起訴された。1942(昭和17)年、津田に対して禁固3カ月、執行猶予2年の判決が下される。すぐに控訴したものの、以後控訴審が一度も開かれないまま1944(昭和19)年、時効完成により免訴ということになった。
 1949(昭和24)年、文化勲章受章、1960(昭和35)年には第1号の美濃加茂市名誉市民に推戴され郷里を訪問する。1961(昭和36)年、武蔵野市の自宅で逝去(88歳)。 
 津田左右吉の生家は、解体移築され「津田左右吉博士記念館」として保存されている。